目利きになるため。その2(目利きに必要なものは?) - 2020.11.24 Tue
前回、目利きについて少し触れました。
でも、目利きってなんでしょうか?
それは、知識があればいいのか?
これまで、古美術商の人と関わってきて気づいたのが、
実は、知識というよりか、感覚に近いものだということです。
贋作に対して、古美術商の人がよく言っているのは、
「精神性がない。品がない。媚びている。」
逆に、良いものは、
「精神性がある。品がある。媚がない。」
という言葉です。
ぱっと見た時の感覚で、良いか悪いかを判断しているようです。
ここがこうだから、この時代は、などというアカデミックな説明ではなく、
なんか違うなのです。。。(素人の私としては、どこがどう違うのか?
今後のために細かく聞きたいのですが、どうも違うようです。)
私も、この感覚が、最近、少しは分かるようになり、骨董市や展示会を巡る際、
ふらーと会場を回る中で、これは?!と思うものに目が留まるようになりました。
なんとなく、品があるというか、オーラを発していると言うか、
すごく印象に残る品に出会うことがあるようになりました。
私の場合、彫刻や仏像系が好きなので、そういったものによく目に止まります。
ただ、絵画や焼き物に関しては、こういう感覚がほとんど全くありません。。。
実は、秋の目白コレクションの会場で購入した山車の
側板の他に、もう一つ、目に留まった物がありました。
それは、小さな木彫りの仏像でした。
小さいながらも、結構なオーラがあった品のように思いました。
値段も、かなり小さいのに58,000円と結構高め。。
あまりコレクションを増やしたくないし、値段も高めだったので、
詳しく店主にこれなんですか?とは聞きませんでしたが、
あの時、何なのか聞いておけば良かったと後悔してます。。
骨董も人も、良いものには、品が醸し出されるのです。
少し話が変わり、安宅コレクションについて書かれた
「美の猟犬―安宅コレクション余聞 」 を今日、読み終えました。
安宅栄一氏は、かなりの変わり者だったようです。
そして、あんなに超一級品を蒐集していたにもかかわらず、
実は、自宅は、骨董で飾ったりしていなかったとか。。
その理由を、近くで見てきた伊藤 郁太郎さんの考えによると、
安宅さんは、身近に古美術を置くことで、目線が低くなってしまう
俯角視線になることを嫌ったそうです。
あくまで、古美術は、人智を超えた崇高な存在として捉えていたとか。
一方、白洲正子さんや青山二郎さんは、古美術を人と対等
なものとして関わり、生活の中に取り込んだ。との見解でした。
なるほど、そういう考えもあるのか。。と思いました。
実は、最近、私も民藝にハマっていて、自宅のインテリアとして飾ってます。
(あくまで、通常の空間を意識してのものなので、強烈なオーラを放つものではありません。)
確かに、私のコレクションは、わずかにオーラを発するもので、
強烈なオーラを発するものではありません。。。
これまで、何度か、目に張り付くようなものに出会いましたが、
見逃しました。。。残念です。私には、まだ胆がない。
ただ、いつの日か、安宅さんのように、人智を超える物に出会い、
一つだけでもコレクションに加えてみたいなと思います。
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それは、知識があればいいのか?
これまで、古美術商の人と関わってきて気づいたのが、
実は、知識というよりか、感覚に近いものだということです。
贋作に対して、古美術商の人がよく言っているのは、
「精神性がない。品がない。媚びている。」
逆に、良いものは、
「精神性がある。品がある。媚がない。」
という言葉です。
ぱっと見た時の感覚で、良いか悪いかを判断しているようです。
ここがこうだから、この時代は、などというアカデミックな説明ではなく、
なんか違うなのです。。。(素人の私としては、どこがどう違うのか?
今後のために細かく聞きたいのですが、どうも違うようです。)
私も、この感覚が、最近、少しは分かるようになり、骨董市や展示会を巡る際、
ふらーと会場を回る中で、これは?!と思うものに目が留まるようになりました。
なんとなく、品があるというか、オーラを発していると言うか、
すごく印象に残る品に出会うことがあるようになりました。
私の場合、彫刻や仏像系が好きなので、そういったものによく目に止まります。
ただ、絵画や焼き物に関しては、こういう感覚がほとんど全くありません。。。
実は、秋の目白コレクションの会場で購入した山車の
側板の他に、もう一つ、目に留まった物がありました。
それは、小さな木彫りの仏像でした。
小さいながらも、結構なオーラがあった品のように思いました。
値段も、かなり小さいのに58,000円と結構高め。。
あまりコレクションを増やしたくないし、値段も高めだったので、
詳しく店主にこれなんですか?とは聞きませんでしたが、
あの時、何なのか聞いておけば良かったと後悔してます。。
骨董も人も、良いものには、品が醸し出されるのです。
少し話が変わり、安宅コレクションについて書かれた
「美の猟犬―安宅コレクション余聞 」 を今日、読み終えました。
安宅栄一氏は、かなりの変わり者だったようです。
そして、あんなに超一級品を蒐集していたにもかかわらず、
実は、自宅は、骨董で飾ったりしていなかったとか。。
その理由を、近くで見てきた伊藤 郁太郎さんの考えによると、
安宅さんは、身近に古美術を置くことで、目線が低くなってしまう
俯角視線になることを嫌ったそうです。
あくまで、古美術は、人智を超えた崇高な存在として捉えていたとか。
一方、白洲正子さんや青山二郎さんは、古美術を人と対等
なものとして関わり、生活の中に取り込んだ。との見解でした。
なるほど、そういう考えもあるのか。。と思いました。
実は、最近、私も民藝にハマっていて、自宅のインテリアとして飾ってます。
(あくまで、通常の空間を意識してのものなので、強烈なオーラを放つものではありません。)
確かに、私のコレクションは、わずかにオーラを発するもので、
強烈なオーラを発するものではありません。。。
これまで、何度か、目に張り付くようなものに出会いましたが、
見逃しました。。。残念です。私には、まだ胆がない。
ただ、いつの日か、安宅さんのように、人智を超える物に出会い、
一つだけでもコレクションに加えてみたいなと思います。
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